☆15日午前8時27分、病期療養中の父が88歳の天寿を全うし、お空に旅立ちました。
昭和2年9月23日、代々医家の長男として生を受け、自らも精神科の医師へと進み、勤務医から開業医となり長期に
渡り、南区医師会の理事・大阪府医師会の副会長・日本医師会の理事などを勤め地域医療に貢献してきました。
多忙な父でしたが、私たちが、幼い頃は休日の度にドライブやハイキングに連れて行ってくれました。夏休み恒例の白浜旅行、魚釣りの楽しさも魚のさばき方も父に教えられました。
『勉強しなさい』と言われた事はありませんが、結構スパルタなところも有り、スケートにいくとリンクの真ん中に
連れて行かれ、自力で滑って手すりまで帰るようにと言われたり、プールでも浮き輪無しで泳がされたり(笑)
日曜日の晩ご飯は父の作るすき焼きとか・・・本当に子煩悩な父に愛された思い出は数えきれません。
私たちが大きくなり手が離れると、母と一緒にゴルフを楽しんだり、趣味からプロなみの腕前になった魚釣りを
和歌山の加太の漁師さんの家に泊まり込みで楽しんでいました。
一度取り組むと何でもプロ級になるまで追求する姿勢は、樹木医・書道・ダンス・アイスダンスなど多岐にわたり、
遊びも色々、お酒は底なしと人生を楽しんでいたようです。
4年前に胃癌が見つかり、腹腔鏡手術を受けましたが、『これ以上休診して患者さんに迷惑をかける事できない』と
言って同時に見つかった食道癌に対しては経過観察する道を選択しました。
昨年、診療を終える決心をして8月に低侵襲性の放射線治療をうけ、今年の7月までは8000歩の散歩を日課とし、
癌と共存してきました。
今年の5〜6月には元気な父と『春日大社の藤』・『中之島や靫公園のバラ園』・『舞洲ゆり園』・『城北公園菖蒲園』
などを一緒に巡り、花々を楽しんだのは今となっては良い思い出になりました(*^-^*)
7月頃から胸の痛みを訴えるようになり、お盆のお墓参りに行った時にはかなり辛そうな状態で、緊急受診すると、
胸水が溜まっていました。9月1〜10日迄癌センターに入院し、退院後、在宅療養で最後の日まで頑張ってくれました。
父と過ごした最後の35日間は本当に色々な事が起こり、多くの事を学ばせてもらえました。
本当はかなり辛かったと思われますが、痛いとかしんどいと言う言葉を口にすることなく、最後の朝には妹の見ている
時に本当にあっけなく逝ってしまいました(T_T)
そんな父が作成していたエンディングノートには、色々な希望がかかれていました。
旅立ちの衣装は黒の作務衣、葬儀は家族葬、そして阪大への献体、葬儀の際に流す曲は『我が人生に悔いはなし』
遺影の写真まで決まっていましたが、さすがに若すぎて(笑)却下し、今年の6月に舞洲ゆり園に行った時のものに
なりました。
最後の最後まで自分の事はきっちりと決め、せっかちの父らしく、15日通夜、16日家族葬という超スピーディな
展開で見送る運びとなりました。
父から受けた深い愛情・教えの数々をしっかり受け止め、父の娘として恥じない様にこれからの人生を生きていけるように頑張ります!
パパ・・・長い間本当にお疲れ様でした・・・そして有難うございました♡